カナダで起業した理由ときっかけ
2005年7月15日に私はバンクーバーで起業しました。
留学情報センターです。いわゆる世間で言われている留学エージェントです。
をブログに書いたときに紹介したように、私は最初は ”ただの英語が話せない留学生” でした。
「その時、親切なエージェントに出会って感動して・・」「私もそうなりたいと思いました!」なんてことは一切なく、私は当時日本の某留学雑誌をみて日本の留学会社を利用してきたので残念ながら、現地ので素敵なサポートスタッフとの出会いはありませんでした(笑)
「私が起業した理由」
理由は本当に単純です。
「みんなの居場所を作りたかった」
それだけです。
一留学生だった私が感じたこと。
「カナダにきて感じていた自分の居場所のなさ」
他人の国だから当たり前だし、日本人とつるまないって決意した私にとって、自分の居場所探しは想像以上に難しかったのです。
私が当時利用したのは、日本にオフィスがあって、バンクーバーにオフィスがない会社でしたから渡されたのは、緊急時に連絡ができる(日本に電話ができる?)24時間サポートホットラインと書かれているカードのみ。
使い方もわからなかったので、一回も使ったことはなく終わりましたが・・(笑)
とにかく、ホームステイにいても、学校にいても気が張っていてホッとできる場所がなかったですね。
(そんな場所があったらいいな)
(いつも迎えてくれる自分の居場所はあるのだろうか?)
そんな風に感じていた時、降りてきた言葉 ”無いものは作ればいい!”
無いものなら ”造ればいい!”
今考えるとかな~り自由な発想ですが、正しい発想だったとも思います。
だって、『無いものなら自分で作ればいい』
ただそれだけですから(笑)
特に失うものがなかったのもある意味強いですよね(笑)
「この業界との最初の出会い」
留学生として英語の習得が終わり、一回数か月帰国して、その後ワーキングホリデービザに入り替えて再度カナダに戻ってきました。
「もう少し英語を学びたい」「今度は英語を使ってみたい」
そんな気持ちでカナダにまた戻ってきた私はまずは職探し。
オフィスワークを探していて、縁があって留学業界で働くことになりました。
私の担当は、日本、台湾、タイからの留学生の相談。
最初にした担当の仕事は、日本の留学生でしたが、モントリオールの学校のキャンセルだったので急にフランス語のスタッフとのコミュニケーションから始まり、大変でした(笑)
大手の会社だったので、当然ですが会社の方針というものがありました。
それは自分が信じるスタイルの留学カウンセリングではなく、数字を追うための指導、教育をされて、心の中ではぬぐい切れない違和感を感じながらの2年間。
「なんで、自分が信じるアドバイスができないんだろう。意味ないじゃん・・。」
そんな環境の中、出来る限りの自分スタイルを貫きました。(笑)
留学生を支えるお仕事、みんなの悩みのサポートという仕事は本当に楽しかった。
自分に向いてるなーって天職かも!って思ったりした瞬間もありました(笑)
「留学業界から去る」
当時勤めていた留学エージェントでは、運がよく、当時私はたくさんの留学生を抱えていました。
たくさんの人の悩みを聞きました。
真剣に向き合って、真剣に考えて
留学生、特にワーホリの子たちによくしていた職場のアドバイス。
”自分にやりたいことがあるなら意思を伝えなきゃ”
”思ったものと違うなら、意思を伝えても何もかわらないなら自分を守る行動を取らなきゃ”
”足元みられたままにしていたらいけないよ、自分を大切にしなきゃ”
(あ・・・・・あたしも同じことしてるかも・・)
人にアドバイスしていながら、自分もそこにいることに気が付き、社長に話しに行って退職し、自分の環境のリセットをしました。
留学生からは、「え?!どうして急に?」
私 「あたしも同じだったから、自ら実行してみた(笑)」
皆 「だからって・・・(笑)」
「留学業界で再就職の誘い」
留学業界から去っていた私は、少しの間英語初心者にチューター(家庭教師)をしたり、
知り合いのグラフィックデザイナーからの依頼で、カナダの雑誌にイラストレーターとしてイラストを描いて生計を繋いだりしていました。
数か月経ったころ、前にいた会社の上司が新しくエージェントを始めるから日本マーケットを立ち上げてほしいと誘いにやってきました。
(ん~・・どうしよう。)
イラストレーターの仕事も続けたかったのもあり、留学業界もどうせまた同じことかもしれないし・・と幻滅していたこともあり、すぐに答えられませんでした。
半年後、再度の誘いがあり、一人自分がチューターしていた生徒をインターンシップとして雇ってくれることを条件に、この誘いを承諾して日本マーケットをゼロから起ち上げることになったのでした。
「再び裏切られた期待」
順調にスタートした日本マーケット。
留学生が集まる中、再びぶち当たったのが ”自分らしいカウンセリングができない。”
会社で既に決められた学校を紹介する。
意味がない。
”自分がいいと思うカウンセリングができない。アドバイスができない”
この縛りは
”誰にでもできる仕事”
”私じゃなくてもいい”
という大きな石が胸に詰まったような感覚となって私の心に広がり始めてきました。
私を信じて聞いてくれる生徒に対して責任が取れないことはしたくない。みんなが大好き。
そして、能力を試されない仕事がつまらなくなり、馬鹿馬鹿しくなってきました。
(やっぱり、同じか。どこに行っても同じじゃないか。やっぱりこの仕事を辞めよう。)
留学生に辞めるかもしれない。と話した時、
「そんなら自分でやればいいじゃん!」(笑)
と生徒から冗談も言われて、
「お金もないし、(私は)絵を描く人であって、ビジネスマンではないし、大体、ビジネスになんて最初から興味ないし、無理無理~!(笑)」「誰かやって私を雇って~(笑)」
そんな感じで約1年~1年半で、また留学業界からあっさりと去ったのでした。
「きっかけは突然やってきた」
突然電話が鳴った。
”Hey! It’s been a while. Do you have a minutes?”
(やぁ、久しぶり!ちょっといいかな・・)
同じ業界で長年仕事をしてきた知り合いからの電話。
彼は社長でいろいろなビジネスを経営していて、信頼できる気さくな仲間。
いろいろな話をしてきている中で、私の考えや、絵を描く趣味を知っている仲間。
特に、彼は ”何故か私の仕事の能力をすごく高く買ってくれていた” のです。
友人: ”自分でエージェント起ち上げてみないか?”
私: ”What・・!?” (は・・?)
いやいや、そんなお金ないし、そもそも I am not a business person!(ビジネスマンじゃないし!)
”とにかく、企画書と僕にプレゼンテーションをしてみてくれよ。”
それは、人生最大のチャンスだったのです。
プレゼンテーション、企画書などなど数日後に行い、ミーティングを行い・・
そこから始まった私の人生ゲーム。
「オファーと決断」
彼は、最初は一緒に経営したいと思っていたらしかった。
”無理です。Co-Owner(共同経営)ならやりません。”
一緒に会社をするなんて、2回も留学会社に気持ちを裏切られた私には到底できないと思いました。
一年間。
”一年間、一年間の期限付きでお金を君に貸そう。”
それが最終オファーだった。
1年後に借りたお金を全額返せなければ、経営権はその人のものになるという条件。
”面白い!”
ビジネスの経営なんてまるで興味のなかった私には、まるで ”人生ゲーム” のような挑戦状だった。
”自分が今まで正しいと思ってきたこと、正しいと思うカウンセリングや生徒との向き合い方”
私のやり方は、どこまでこの世の中に通用するんだろう・・。
お金や権力がもつ力で成り立つ世の中に嫌気が差し、大きな疑問を持っていた私にとって、これは社会に対しての挑戦状だったのです。
『自分がやってみたかったエージェントのスタイル。小さくたっていい、世の中で、大企業(コーポレーション)相手に、自分が信じる正しいと思うスタイルでどこまで通用するのか試してやる!』
それが通用しない世の中なら、もうこんな業界で仕事なんかしない!
そう決めた。
”Okay! I will. It is a deal” (わかった、やってみる)
握手を交わした。
「会社の名前を決める」
”ちびかなだ” これが私の会社の名前。
ちびかなだは、「ちび」 と 「かなだ」 から成り立っています。
(見た通り!(笑))
この名前に込められた想い。
”最初にカナダに降り立った時には、右も左もわからないBaby(ちび)です。ちびから、自分が思うように、なりたい自分に「大きく」成長していってほしい。”
”自分らしく「大きく」なれるように「ちび」の状態のみんなの側で味方でいたい。”
そして、ちびかなだ のシンボルのキャラクター(ちびくん)は、私のイメージから描いたもの。
”卵から生まれたモンスターの赤ちゃん”
”可能性をたくさん詰めた卵” と
”何にでもなれるモンスター” とが私の会社方針ということで、ちびくんはこの世に誕生しました。
このコンセプトがとても気に入っていて、私の生き方の象徴としてこの世に存在していってくれたらいいなと思っています。
「ちびかなだ」のサブコンセプトは ”僕のみかた” です。
いつまでも、「ぼく=みんな」の味方でいたいという気持ちが込められています。
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”会社をするなら、3年間は自分の時間は一切無くなる。好きな絵を描く時間もないと思う。”
”その覚悟があるか。”
握手の際に言われた言葉。
実際に会社を経営している先輩からの言葉でした。
どうなるんだろ? 大丈夫かな私・・。
会社の名前も決まり、登録も無事に終わり、初めてのオフィスロケーションが決まり、オフィスの賃貸の契約書にサインをする当日になりました。
最初は3年間のリース。
3年間か・・。
どんな事があっても逃げられない契約書だけあって、流石に一日考えました。(たったの一日!笑)
サインした日からその重圧感と不安な気持ちから、借金取りに追われる夢を何度も見ましたが、気がつけば無我夢中で時間が立つのを忘れるほどに没頭してました。
朝も夜もなく、一生懸命に走り続けて、気がつけば私とっても楽しんでいました(笑)
苦しいはずだったのですが、気がつけば、なんだかめちゃ楽しかった。
オフィス作りも、留学生みんなと一緒に夜な夜な作り上げる自分たちの居場所。
久しぶりに学生時代の文化祭のよう。
車もなく、ペンキを手で運び、床を仕上げて、看板を作る。
そして走り出したのが ”ちびかなだ” です。
時は経ち、自分でも気が付かないうちに約束の1年間で返済完了!
こうして、ちびかなだは私の会社になったのです。
「ゲームは終わらない」
ゲーム終了!!
とはならなかった。事実、ここからが私の戦い。
始めるのって・・正直、リスクを受け止める勇気があれば誰でも出来る。
一番難しいのは続けること。
気がつけば、もう14年走り続けている。今は15年めの滑走路で自分のペースでなお進み続けている。
本当に沢山の人に支えられて、沢山の仲間に見守られて、本当に抱えきれないくらいのエールを受けてここまで走り続けてこられています。
私は管理人さん。
みんながいつでも戻ってこれる場所を守り続ける管理人さんなのだと思っています。
愛する人がいる限り、必要とされてる限り、私はここを守ります。
「もしあなたにアドバイスをするとしたら」
”人生は一度きり。”
”思い立ったが吉日” です。
何かやりたいことがあったら、とにかく動いてみてください。きっと何かが見えてくるから。
失敗はつきものですし、リスクを追うことは恐怖100%です。
でも、一生懸命やってみて、全力投資したのならば、「笑顔」しかのこらないから。
失敗したとしても、何故かあなたは笑っていると思います。
周りの人はきっと理解できないでしょう。
でも、全力でやってきたのであれば、あなたは絶対に爽快な気分で笑っているはず。
やった人しか見えない世界がそこにはあります。
だから、体力がある年齢であれば、自分が生きている印を残すという意味においても迷うことなく挑戦してほしい!と心から思います。
どうせやるなら全力でやってください!
どうせやるなら、全力で楽しんでください!
私は全力でチアリーダーになりましょう。
少しでも誰かのやる気スイッチの背中を押せていれば嬉しいです。
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